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住民らで協力して、琴引浜の漂着ごみを回収
SDGsは「14.海の豊かさを守ろう」など、環境保全についての目標も多いです。琴引浜では、約40年前から住民らが保護活動を続けています。具体的にどのようなことに取り組んでいますか。
掛津区の管理事務所の職員として、住民の皆さんと協力して琴引浜の清掃活動や駐車場の管理などに取り組んでいます。職員は私を含めて3人です。鳴き砂は、石英が多く含まれた砂浜に圧力が加わり、砂の層が振動することで音が出ます。そして、砂粒の表面が少しでも汚れると音が出なくなります。ですから、鳴き砂を守るために、定期的に浜をきれいにしています。観光客の方に、鳴き砂について説明することもあります。
メインの活動は漂着ごみの回収です。海のごみは陸上由来で、基本的には川から流れてきます。いろいろなところから流れてきたものが集まっているのが漂着ごみなんですね。琴引浜には、コロナ禍前で年間40トン以上のごみを回収していました。特に冬場、11月から3月ごろにかけては海が荒れ、潮の流れに乗って多くのごみが流れ着きます。天候の状況を見ながら、週1回ぐらいの頻度でごみを回収します。
注射器やマイクロプラスチック……危険なごみも
琴引浜には、どのようなごみが流れ着きますか。
ペットボトルなどのプラスチックやライター、びん、発泡スチロール、漁具などさまざまなものが流れ着きます。冷蔵庫が流れてきたこともありました。冬場は海流の関係で、全体の7、8割が海外からのごみだと言われています。これらのごみを回収して手作業で分別し、小型運搬車でいったん近くのグラウンドまで運びます。そこから網野最終処分場に運んで処理しています。
漂着ごみの中には、危険なものもあります。その一つが医療廃棄物です。海外から流れてきたと見られる使用済みの注射器などもあります。琴引浜は海水浴場としても解放していますし、そのようなものが落ちていたら大変です。細心の注意を払って処理します。5年ほど前からは海の生態系に影響があると言われているマイクロプラスチック、砕けたプラスチックの破片も目立つようになりました。細かいためふるいにかけながら回収していきます。私たちの手に負えないものは専門業者に依頼することもあります。
重油が流れ着いても大変です。1997年、島根県隠岐島沖でロシアのタンカー「ナホトカ号」が破損・沈没した事故では、琴引浜にも大量の重油が流れてきました。浜一面が真っ黒になって、「鳴き砂が死滅してしまうのではないか」と心配になりました。危機的な状況でしたが、ボランティアの方々にも支援していただき、重油を回収できました。2024年1月にも重油が流れてきたので、回収しました。
「鳴き砂が鳴かなくなる」危機感から「守る会」を設立
住民らによる鳴き砂の保護活動は、どのようにして始まったのでしょうか。
1970年代後半から、「タバコの吸い殻などのごみで、鳴き砂が鳴かなくなってきている」ということが言われ始めました。同志社大学工学部教授(当時)の三輪茂雄氏が鳴き砂の保護を訴えたこともあり1987年、住民らによって「琴引浜の鳴り砂を守る会」が設立されたのです。琴引浜がある掛津区と遊区の住民が入会して、海岸清掃に取り組むようになりました。
琴引浜は地区全体で管理しています。ですから、例えばごみの量が多く、管理事務所の職員だけでは回収できない場合は、住民の皆さんに呼びかけて、みんなで集めています。浜をきれいにすることは、住民にとって、日常生活の一部になっているのです。また1999年には、浜をきれいにするために「禁煙ビーチ」という取り組みも始めました。守る会が中心となり、夏の2カ月間に当番を決めて、喫煙者を注意したり、週末に啓発活動を行ったりしました。
可能な限り、きれいな琴引浜を保全していきたい
今後はどのようにして活動を続けていきたいですか。
現在の琴引浜の状態を可能な限り保っていかなければいけませんが、他の地域と同じように、この地域も少子高齢化が進んでいます。そうした中で、今後も同じように活動していけるかというのは大きな課題ですね。それでも、「日本有数のきれいな鳴き砂の浜をみんなで守っていこう」という住民共通の思いがあります。観光客の方々にもいい音を聞いて帰ってもらいたいので、なんとかしてごみの回収などを続けていきたいです。