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個人 2023.4.21

“森が好き”という想いから、自然と地域が共存できる仕事づくり。森の整備を通して資源の活用を考える

京丹後市弥栄町船木地区の「船木の森」を主な拠点として、森の整備、一般家庭や施設の森林空間デザイン、天然苗木の販売などの幅広い事業を運営する、andonの市瀬拓哉さん。長野県出身、富山県育ちで、2009年に京丹後市へ移住しました。常に自然が身近な環境で暮らしてきた市瀬さんは、学生時代の経験や仕事を通して「自然が豊かな地方・地域で仕事をつくる大切さ」を次第に強く感じるようになり、それを自身の生き方として模索し続け、形にしてきました。市瀬さんの原動力は、“森が好き”という想い。森の素晴らしさ、自然との共存の必要性を次世代へ伝えていきたいと話す市瀬さんに、お話を伺いました。

andon代表 市瀬拓哉さん

森を中心にした市瀬さんの仕事。森を守りながら、経済を回す

森をベースにした市瀬さんのお仕事は、どんなことでしょうか。

私はいつも、「おいしい森づくり」という言葉を使って表現しているのですが、森も元気になり、それにより人や地域も豊かになる、そんな環境づくりを事業にして活動しています。

一つ目は、森の整備です。木々の育成状態に応じた間引きや、植物が病気にかかっていないかの確認などをしています。また、人が入りやすくするための道の整備も進めています。自分たちの活動をしやすくするためでもありますが、子どもたちを対象とした森案内の実施も企画・実施していて、身近に触れてほしいという想いから地道に行っています。

整備してつくった森の歩道

二つ目は、森の整備で間引いた木々の活用として、一般家庭や施設の森林空間デザインです。庭に木を植える依頼や、新設する施設の木造遊具や庭園を造る依頼など、さまざまな希望に応えてきました。この活動は私一人ではなく、庭師の方や地域の木工に詳しい仲間と協力して行っています。もともと地域に存在する天然の木を利用することで、季節ごとの花が咲いたり実をつくったりと、人が地域の自然を知るきっかけにしたいです。

そして今、重点的に取り組み始めているのが、三つ目である天然木の苗木の販売です。間引いた天然の苗木は実は根が弱いため、根が強く張るようになるまである程度育ててやる必要があります。そこで、現在苗木を育成する圃場(ほじょう)を作っているところです。森林空間デザインのお客さんに実際に圃場に来ていただいて、希望の空間に合わせて木々を選んでいただけるような場にしたいと思っています。

販売する苗木を育成するための圃場(ほじょう)をつくっている

これらの仕事を掛け合わせながら、森の整備を収入に繋げて継続していくことで「おいしい森」の実現を目指しています。

森の整備がなされないと、どんなことが起こるのでしょうか。

全く人が手を付けなくなった森では、生命力の強い草木だけがどんどん育ち、弱いものは絶えていきます。多様性が失われると生態系のバランスが崩れ、その結果、次第に生命力が強い生き物だけが生き残る構造になってしまいます。また、そうして残った木々がやがて年を取ったとき、それら自身も生命力が弱って病気にかかりやすくなり、群落(木々の集団)ごと枯れてしまい森の一部が失われてしまいます。

また近年では、京丹後でも獣害の被害が叫ばれていますが、実は獣害被害も森の管理が行き届いていないために起こる問題の一つです。餌にしていた植物が減ってしまい、民家の方へ降りてきてしまうのです。

こういったことを防ぎ、森を豊かに残していくために、京丹後も含め森がある地域では、若い木々が育つ循環を人の手を加えながら形成してやることが大切なのです。そういったことが、地域で仕事として成り立っていくことが必要だと思っていて、事業を通してそれに挑戦しています。

自然が豊かな地方・地域で、人々が暮らしていける仕事をつくることが大切

地域の仕事づくりに興味を持ったきっかけはなんですか。

子どもの頃から自然に触れることが好きで、大学時代も水資源の研究を中心に学びました。当時参加していた環境保全ボランティアのコーディネーターの活動では、原子力発電や自然エネルギーの問題にも触れました。

その中でも特に、青森県六ヶ所村にある火力発電所や核燃料の最終処理施設を見に行ったことが今に繋がる大きなきっかけになりました。そこはもともと農業が主な産業である地域でしたが、1970年代頃から火力発電所や核処理施設ができ始め、時代の流れと共に農業から離れた住民の多くがそこで働くようになり、地域全体の仕事環境やライフスタイルが変化していった歴史があります。その事実を知って、地域の環境資源と、人々の仕事や生活の結びつきについて考えた当時の私は、「こういう地方地域で住む人々が豊かに暮らしていくには、その土地の文化や環境を失わないために、地域特有の仕事を作っていくことが重要なのではないか」と考えたんです。

その想いが基盤となっているんですね。そこから「森」に着目したのはなぜですか。

その後も、自然環境に関わるさまざまな活動や仕事の経験をしましたが、「丹後 海と星の見える丘公園」で森に入る仕事をしたことで、森のおもしろさ、地域との繋がりに気がついたんです。

地域特有の風土や気候によって土の種類や質が変わり、土が違えばそこに暮らす木々や生き物も違います。また、それらは互いに影響しあって生きていて、植物や生き物の死骸さえも循環して山の生命の要素になっています。そういった自然界の役割や多様性の存在をとてもおもしろいと感じましたし、自然を守ることを自分の仕事にしていきたいという想いが強くなりました。

「山はコンビニ」。森と人・地域の理想的な関係性

森と人はどんな関係性を持つことが理想的なのでしょうか。

日本では縄文時代から、山に入って建材や燃料にするための木々や食べられる山菜を採ってきて暮らしていたことが分かっています。当時の人々は木々の種類や経年などの生育状態を見分ける知識を持っていて、それに基づいて森を「管理」していました。森の木々が豊かに保たれることが自分たちの生活の豊かさに繋がることを知っていたんです。現代社会では、さまざまなことが便利になり何でもすぐに手に入るため、そういう知識や生活様式が必要なくなっていますが、あらゆる産業や生活基盤の持続可能性を重要視した議論が進む今、環境保全と人の暮らしの共存のために「人が森を管理する」ということが改めて必要になると考えています。

現代社会において森を管理していく上で、課題点はありますか。

現代においてはライフスタイルも変化していますし、山の持ち主が定期的に正しい管理ができるという訳ではないケースがほとんどのため、「持ち主が管理しなくてはいけない」という方向性は難しいと思っています。私のように森の状態を把握し、必要に応じて整備できる人材が増えて日本の森を守っていくことが理想的だと考えています。

また、安価な外国産の木材の輸入によって国産の木材が売れなくなっていることも、森を活用しようという流れを止める大きな要因です。過度で極端な森林伐採ではなく、森を管理する中で生まれる資材が売れたり何かに利用されるサイクルが生まれると、森林に関わる仕事に従事したいと思える人も増えるでしょう。日本には今でも、利用できる木々が多く存在していて、昔の技術を応用しながら現代に合わせた使用方法を叶えることができます。

「山はコンビニ」と言われるほど、建材料、燃料、食料など多くの活用ができます。それを多角的に提案し、森に価値をつけていくことに挑戦していきたいです。

整備する中で伐採したコナラの木から原木椎茸も採れる

京丹後から、日本の森を変えていきたい

船木の森を整備していく中で、何か感じる変化はありますか。

人は森に入ると優しくなる、と思っています。自然環境に対して、生活ごみや水資源など日常の暮らしを振り返るきっかけになりますし、自然と身近に触れ合うことでホッとできて、きれいな空気の中で日々の疲れを癒やすこともできます。

また子どもたちは、ここへ来ればこちらが何もしなくても自由に森の中を駆け回って、動物が掘った穴や、見たことのない植物や虫など色々なものを見つけてくれます。こちらから何か説明するということは敢えてせずに、子どもたちの興味に沿って話すようにしています。街中では見られないもの、触れられないものに触れて森のおもしろさを知り、暮らし方や働き方のヒントにしてくれたらうれしいですね。

それから、森や自然をベースにした仕事を楽しむおもしろい人も身近に増えてきていると感じます。私が所属している「キコリ谷クリエイターズギルド」は、丹後において農業や木工、建築などの仕事に携わるメンバーがそれぞれの知識や技術を持ち寄り、一緒に空間づくりの提案や木製品製造を行っています。メンバーのやりたいことにも互いに協力して取り組むことで、自分たちが大切にしたい丹後でのおもしろい暮らし方も実現できるため、これからの活動もとても楽しみです。

市瀬さんの拠点「船木の森」

今後、挑戦していきたいことはありますか。

自然と地域の関係性は、京丹後だけのこと、今だけのことではなく、日本全国でこれから先もずっと続いていくものです。今行っている事業を継続してきちんと基盤にし、将来的にそのノウハウを日本中に広め、森と人の暮らしを豊かにしていくことが最終的な目標です。それを実現するためには、私と同じように何か森に対して良いアクションを起こそうとしている人や、ここに来てくれた子どもたちの中で将来自然に携わる人が出てきたときに、人材の育成や知識の共有ができる仕組みづくりをしていかなくてはと考えています。京丹後がその発信地になっていけるような取り組みをしていきたいです。

この記事に関する目標

  • 15.陸の豊かさも守ろう